お 品 書 き
「みおつくし」って、な〜に?
小倉百人一首 二十番
源氏物語 第十四段「澪標」
”みおつくし”の鐘

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「みおつくし」って、な〜に?

 「みおつくし(澪標)」というのは、その昔、難波江の浅瀬に立てられていた水路の標識のことです。
 「みお」は、漢字で「澪」または「水脈」と書き、水路という意味です。「くし」は漢字で「串」、即ち「杭」の意味です。「つ」は、「〜の」という意味の格助詞で、古典でよく用いられています。  【例】 天風、沖白波
よって、「みおつくし」は「水路の杭」という意味になります。
木津川河口に建てられた
澪標(明治10年ごろ)
 「みおつくし」は「みをつくし」とも書かれ、古歌では「身を尽くす」という意味で、掛詞として用いられています。


小倉百人一首 二十番

 右の歌は、元良親王が、宇多法皇の寵妃であった藤原褒子(時平の娘)に贈った歌です。

 元良親王は陽成院の第一皇子で、風流好色の逸話を数多く残しています。
 『今昔物語』巻第二十四にも、「極(いみじ)き好色にてありければ、世にある女の美麗なりと聞こゆるは、会ひたるにも未だ会はざるにも、常に文を遣るを以て業としける」とあるように、元良親王の好色ぶりは有名だったようですね。ことに藤原褒子との熱愛は世に広く喧伝され、密通が露見して逢うこともかなわず、右の歌の「侘びぬれば〜」という心境になっていきます。

 歌の意味は、
密通が露見して逢うことができず、とても寂しくなってしまった今は、逢っても逢わなくても噂になった以上は同じことだから、あの難波にある「みおつくし」のように、命が尽きようとも逢おうと思います。


















 

























源氏物語 第十四段「澪標」

























 源氏は、逆境の時代を須磨明石で過ごしました。そのとき、恋をしたのが明石の君です。明石の君は、源氏が帰京した後も田舎に留まり、女の子を出産しました。

 明石の君が恒例にしている参詣を、去年もこの春も障りがあって果せなかった謝罪もかねて、船で住吉へ来ていた日、偶然にも源氏の住吉詣に出会うのであった。
 内大臣に出世した源氏の一行は、とても煌びやかで、明石の君は自分が惨めに思え、「こんなときに自分などが貧弱な御幣(みてぐら)を差し上げても神様も目にとどめにならぬだろう」と、そっと住吉を去って浪速(難波)の方へ船を廻しました。
 このことを惟光から聞いた源氏は、初めの出合も今日のことも、住吉の神が二人を愛しての導きに違いないと考えられ、手紙を送って慰めてやりたい、近づいてかえって悲しませたことであろうと思って、明石の君に贈ったのが、左の歌です。


”みおつくし”の鐘

 大阪市の庁舎塔屋に、「みおつくしの鐘」と呼ばれる梵鐘があります。
 この鐘は、昭和30年(1955年)、大阪市の地域婦人団体協議会が、青少年をまもる「愛の鐘」建設運動に取り組み、毎夜10時を鐘の音で知らせる「時報装置」と母の愛を象徴する「記念鐘」を製作し、同年5月5日に旧市庁舎塔に設置されたものです。
 鐘は青銅製で、口径は「よいこ」にちなんで4尺1寸5分(約1.26m)、全長約1.82m、重さ約825kgの洋鐘型の梵鐘です。この鐘には、「みおつくし」の市章と母子像、手をつなぐ子ども達がデザインされ、右の銘文が浮き彫りされています。
 子ども達の健やかな成長を願う母の心は、新庁舎完成後の今も旧庁舎塔屋のモニュメントと共に受け継がれ、毎夜10時に鐘の音が鳴り響いています。
鳴りひびけ みおつくしの鐘よ

夜の街々に あまく やさしく

”子らよ帰れ”と

子を思う母の心をひとつに

つくりあげた 愛の この鐘


昭和30年のこどもの日に

大阪市婦人団体協議会


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